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 この写真は富士スピードウェイの30度バンクです、そして、そばに有った看板です。
 
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 1974年の富士GC第2戦を最後に使用されなくなったと書いてあります
 
 1974年の富士GC第2戦で何が有ったのかはご存知の方も多いと思います、当時は日曜日にテレビでレースの中継をよくやった様に思います、そしてそれを見ることが楽しみでした、74年の富士GC第2戦もテレビで見ていました、白い車がスピンしながらバンクを落ちていく光景を今でも憶えています、そして黒煙をもうもうと上げながら炎上していたのもよく憶えていますこのレースアクシデント風戸裕鈴木誠一の二人のドライバーが命を落としました。そして30度バンクは使われなくなりました。
 
 その前の年73年の富士GC最終戦でもこの30度バンクで事故がおきています、その時も事故車両は激しく炎上し、シェブロンの中野雅晴選手が亡くなりました、そしてこのレースの1位2位は、鈴木選手と風戸選手でした
 
 
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 コース脇に大きな木が一本立っています、この辺りが73年の中野車、74年の鈴木車が燃え尽きた場所ではないかと思います。
 
 今、30度バンクを見ると昭和の遺跡といった雰囲気です。