今年の夏は暑過ぎる日の連続で、バイクに乗る気になれないでいた、テレビや新聞は連日猛暑、猛暑と繰り返している。しかし8月も終わりに近くなると夜には涼しさを感じさせる風が吹き始めていた。
4気筒498ccのオートバイを物置から引っ張り出し、ガソリンコックを開きキックペダルを5回踏み下ろした、イグニッションスイッチをONにして、チョークを閉め、キックを強く踏み下ろすと、ボボボボっと頼り無い音を吐き出しながらエンジンはかかった。
暫く暖気をするとアイドリングは安定した、ライダージャケットをはおり、白いジェット型ヘルメットを被り、薄手の皮のグラブを両手にはめ、ホンダのCB500に跨った、今夜はバイクに乗ろうそう決めていた。
バイクに乗る気になったのは、前の晩、田舎道で草の生えた土手に鈴虫の鳴声を聞いたからだった。少し涼しさを感じる風の中を自転車で走っているとき、鈴虫の声を聞いた、コオロギやクツワムシの声もした、昼間の暑さは厳しいが秋はそんなに遠く無いものに感じた、そのとき明日の夜はバイクに乗ろうそう決めた。

走りだして3分もすると右側の丘の上に強い光が見えてきた、市営の運動公園にある野球場でナイターゲームをしている、ライトの周りを昆虫がグルグル輪を描きながら飛び回っているのが見えた。その先は民家が少なく田んぼの間を通る、バイクのヘッドライト目掛けて小さな虫が飛び込んでくる、それは流れ星の様な奇跡を描く、時々ヘルメットのシールドにも当たった。

神奈川県に唯一の村を南北に突き抜ける県道を走っていた、県道沿いには集落が続いていた、明るい建物は24時間営業のコンビニエンスストアーだ、民家が途切れると峠の登りになる、土山峠だ、ここまでは水銀灯がカーブごとに立っていたが、どう言う訳かこの峠の登りには水銀灯が一つも立っていない、真っ暗な道をヘッドライトを頼りに、右に左にカーブをかわしていくと、前輪が妙な形に曲ったバイクをトラックに積み込んでいるのが見えた、下りでコケたらしい、トラックの側には仲間のバイク乗りが二人いた、今日はここに来るまでに何台かの大型バイクとすれ違った、夜の涼しさを求めて走っている自分と同じなのだろうと思っていた、コケたライダーもそうだったのかもしれない、そう思った。

真っ暗な道を登りきると水銀灯の沢山点いた道になる、宮が瀬湖だ、道路脇の温度表示版の数字は24℃だった。

ダム湖に架かる橋を渡るときバックミラーに月が映った、満月から二日たった楕円の月が小さく見えた。